SBDの歴史

ソープボックスダービーの歴史

ソープボックスダービー(以下「SBD」と言う。)は、1933年に写真家のマイロン・スコット氏のアイディアから生まれた子どものカーレースです。3人の少年が自分たちで作ったエンジンのないクルマでレースをやっている様子を撮影している時、「トロフィー付きレースをやろう」と思いついたのです。一週間後、最初のレースがオハイオ州デイトン市で行われ、参加者は19名でした。(AASBDの歴史)

翌34年には本格的なレースとなり、優勝賞品もトロフィーから賞金500ドルに変わりました。その後、シボレーなどの大手自動車メーカーやタイヤメーカー(ファイヤーストーン、グッドイヤーなど)がスポンサーとなって大規模になり、開催地も坂の多いオハイオ州アクロン市に移されました(1936~)。そして、1936年には常設コース「ダービーダウンズ」が完成、以来80年以上もの間、同地において(第二次世界大戦中を除いて)毎年レースが開催されています。

米国では大小合せて年間数百回ものレースが各地で行われており、不良少年更正のためのレースなどもあります。また、2000年春より、実話をもとにしたディズニーのケーブルTV映画「ミラクル・イン・レーン2」がケーブルTVで度々放映されています。

今日、全米と世界各地で年間何万人もの親子がこのイベントを楽しんでいます。

日本では、戦後に沖縄や横田の米軍基地内で、また米軍関係者と日本の子どもたちの大会が二子玉川(都内世田谷区)で行われた記録があります。

1960年代には、故・林家三平のナレーションで放映されていた、アメリカのTV番組「ちびっこギャング(原題:Little Rascals)」を覚えている方もいらっしゃると思いますが――、主人公のいたずらっ子たちの遊び道具としてSBDの映像が流れていました。

近年では「ライトニング」(1998年11月号枻出版社)で特集記事が掲載されました。この雑誌との出会いが、私たちが日本でSBDの普及活動を始めたきっかけです。

以後の日本国内の活動については、団体概要をご参照ください。